ふとした瞬間がどうとか、記憶と記録がどうとか、色々考える事はあります。
でもそれ以前に具体的な出て来た作品そのものが持つ強さに魅力を感じてしまう。
それがその作品の持つ魅力なのではないか、と。
それは音楽を聴いたときに感じるそれと似ている。
その音楽の構造、制作における背景、其の他作品の周りにはいっぱいあるのだけれど、それよりもその音楽の持つ力強さ、そのもの。その存在に身体は惹き付けられる、そんな時がある。
その曖昧で定義付けられない様な存在は確かにあり、それが実現出来たとき、何か身体の中でじわじわと沸き上がる感覚がある。自己の意識の中の言葉にならないものが具体的な作品として目の前に現れたその時に。その正体がなんであれ、作品を作り続けるとたまにこんな感覚が得られる。もしかしたらその一瞬の為に作っているのかもしれない。
2011年11月25日金曜日
the will of photograph at nara park
知人の手伝いでふと奈良県に出かけてきました。
関西に引っ越してきてよかったと思えることは観光地がたくさんあって、日本の原風景の一端、街並をゆったりと眺められる様になった事。
そういえば私事で恐縮ですが、なんだかんだふらふらしてきた私にもそろそろ社会人としての責任が求められているようで、あまり遊んでいられなくなりそうです。今のうちに遊んで暮らさねば。って何度目だこの台詞。
その"遊ぶ”っていう行為は実はめちゃくちゃ大事な事なんだっていうのを最近感じます。
機会でいうところのガソリンではなく、いわばオイルの様な存在、予備校時代に"もっと遊びなさいっ”て教わったのはこういうことだったのね。
制作もそれに伴い縮小傾向ですが、細くとも辿々しくとも、また稚拙であろうとも継続して紡いで少しでも日の目に向かって進んでいければ幸い、と感じています。以前ドはまりしていた写真に関してもその炎がまだ完全に燃え尽きていなかったようなのでクロスオーバー制作が始まる予感。限定と解放を繰り返しては進んでいくのだと、どうなることやら。
2011年11月17日木曜日
2011年11月14日月曜日
2011年11月9日水曜日
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